受験勉強の弊害と大学に行く必要性

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人生のテーマは教育

1月13日と14日には大学入学共通テストが行われました。昔はこれをセンター試験と呼んでいました。私は浪人生で、偉そうなことは言えませんが、ボンミスや解き忘れといったミスが本番で発生することは避けたいところです。私自身も現役時、数学の問題を読み間違えてしまい、それが原因で合格できませんでした。

最近のニュースによれば志願者数が32年ぶりに50万人を下回ったそうです。共通テストはセンター試験とは異なり、発音や文法の正確性よりも実践的なスキルや英語の理解力が求められる傾向にあります。数学の問題数も増加し、難易度も上がっているようですが、形式に慣れることで解きやすくなるとの印象を受けました。

私は人生のテーマとして教育に重点を置いております。教育に対する考えは18歳の頃から模索していました。当初は漠然とした考えでしたが、ある程度の自由度をもって新しい挑戦をする必要があると感じています。これまで企業経営に従事しながら多くの学びを得てきましたが、最近では自らのポジションを変え、新しい挑戦に取り組むことを考えています。

私は大学に入学しましたが、実際には18歳の頃から学校にはほとんど通っておらず、その代わりに働きながら自らを鍛えてきました。しかし、努力しても成果が上がらず、2年間の経験を積んだ後、自ら起業する道に進みました。ところが、その起業も順調ではなかったです。

社員や社長として様々な経験を積んできました。しかし、今の大学にはほとんど意味がないと感じ、当時は他に選択肢がなかったという状況でした。

今のYouTubeやSNSの進化を考えると、その意味について真剣に考えています。中高時代の同級生との友情も、今ではほとんどなく、当時は受験に集中していました。その受験に没頭していた中で、「これから何に向かっていくのか」という疑問が強くありました。それが今でも変わっていないように感じられ、教育自体が根本的に変革される必要があると思います。

大学に進学する理由

一方で、私が知りたいのは、大学に進学する理由です。なぜ大学に通うのか理解できません。勉強は大学に限らず他でもできます。例えば、面白い研究をしている先生がいれば、直接アプローチして教えてもらうこともできます。若者にとってはSNSを通じて大量の情報が入り、興味を持つ対象が減少しているのかもしれません。しかし、そうするとますます興味を持つべき対象が溢れてしまいます。専門性を構築するには、詳細な知識が必要ですが、それが難しい状況もあります。

多くの人が大学を学び、研究する場として捉えています。研究が唯一の目的であればまだ理解できます。しかし、研究を行うならば、その分野に特化した専門性を持つ必要があります。多くの場合、研究室にアプローチすれば入れたり、先生に話を聞くことができる時代だと感じます。こういった点が理解されていないのかもしれません。受験者数は少子化の中でも増加しているようです。彼らは小学3年生や2年生から大手の塾に通い、今もその取り組みを続けているようです。

小学校2年生など、幼い頃に問題があります。ニューラルネットワークの構築が適切でなく、文章が理解できていない人がかなり存在しています。何かがおかしいと感じます。小学校2年生の段階から、その問題を解決することに過度に特化されているようです。それに適応することを、小学校2年生の時から継続しているわけですが、これは本当に適切なのでしょうか?

学校の機能は崩壊している

学生は大学に進学することになりますが、その段階で、実際にはその人は絶対に無理だろうというタイプの人々も排除されているようです。しかし、親がそれを受け入れてしまうことがあります。知能が低いから諦めるべきだと言われてしまうことがあります。

頭が悪いとか、足が速いとか遅いとかは、具体的な数字で示されることがありますが、頭の悪さは見えにくいものです。特に小学校2年生の段階では、誰もが似たようなレベルであるため、その差はなかなか見えにくいものです。結局のところ、頭が良いと感じるかどうかは主観的なものであり、年齢が上がるにつれてはっきりとした差が生まれるものです。

無駄な時間を過ごさせられたことは事実です。塾に通っている時間が実質的な学習の時間ではなく、中学や高校での経験が非常につまらないものだったこともあります。最低限の知識があることで、世界が広がる感覚はあまり感じられませんでした。学校に行っても、自分の世界はあまり広がらなかったというのが実感です。

これは大人の視点から見たものであり、若い頃は多くの情報が溢れているため、何を選ぶべきかが分からない状態が続いています。若い頃は、本を読むことが有益であるとされていますが、これは大人の意見であり、実際には若い人たちにとっては選択が難しいものです。

学校の機能は崩壊していると感じます。クラスで一斉に進められるシステムは、明らかに時代遅れであり、今のインターネットやSNSが存在しなかった時代には最適であったかもしれませんが、現在では適していないと思います。インターネットやSNSの存在により、もっと良い選択肢があるはずですが、それを活かせていないのが現状です。

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